戊辰戦争150周年を記念して、『大壇口古戦場 二勇士の碑』を訪ねてみた

日記

何度か当ブログでも触れていますが、本年2018年は『戊辰戦争』から150周年という節目の年です。
世間では『明治維新150周年』という言われ方をされていますが、あの戦争で”賊軍”のレッテルを貼られてしまった東北各地の人々にとっては『戊辰戦争』から150周年です。

今回は、そんな『戊辰戦争150周年』を記念して二本松市内のある歴史スポットに行ってきました。
歴史好きの観点がちょっと強いですが、レポートをさせて下さい。

大壇口古戦場とは

今回訪れたのは、JR二本松駅から車で5分ほどの『大壇口古戦場』です。
周囲には、高速道路のインターや、消防署、そして私がかつて通っていた岳下小学校といった施設等が集積し、車の交通量がそれなりに多い所です。

そんな大壇口は、今も昔も交通の要衝。
なぜなら…今から150年前の戊辰戦争において板垣退助をはじめとする西軍は、この大壇口街道を北上して二本松に進軍をして参りました。
以下は、大壇口古戦場から街道を見下ろした写真です。

大壇口は小高い丘のようになっており、我が二本松藩が街道を進む西軍を見下ろす形で衝突は開始。
ここに陣を組んだのは、藩内の12歳~17歳の少年達で組織された『二本松少年隊』でした。

この大壇口で西軍を相手に激戦を繰り広げた『二本松少年隊』ですが、武器の性能の差などもあって次第に潰走。
やがて、隊長である木村銃太郎も討ち死にをすることに。

その後、少年達は領内に散り散りになり、ある者は敵と戦って討ち死に、ある者は会津方面に逃げ落ちるなど様々な運命を辿ることとなります。



大壇口古戦場を訪ねる

『大壇口古戦場』を訪ねた私。
実は、何気にここに来たのは約20年振り。
小学校時代の社会科見学以来です。

『大壇口古戦場』入口付近には看板が立っており、そこには『二勇士の碑』と書かれています。
詳しくは後ほど説明するとして…階段を上がっていきますと開けた場所に出ることとなり、私が先ほどアップしたように街道を見下ろすことができます。

こちらが、二本松少年隊・隊長の木村銃太郎の石碑です。
ちなみに木村銃太郎は、『二勇士』ではありませんので悪しからず。



大壇口の二勇士

広場には『大壇口古戦場』に関する説明が、以下のとおり丁寧に書かれております。

大壇口古戦場 二勇士の碑

ここが戊辰戦役に木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊奮戦の地である。

隊長はここで戦死、また少年隊を援護して壮烈な戦死をとげた青山助之丞、山岡栄治の二勇士の奮戦の地でもある。

慶応四(1868)年7月29日未明、三春藩の突然の降伏により二本松の横腹を突く形となった西軍は、潮の如く二本松城下に押し寄せたが、血気盛んな壮年武士は各守備口に出陣しており、藩は止むなく少年隊の出陣を命じた。

木村銃太郎の率いる少年隊は十二、三歳から十六、七歳迄の花も蕾の少年の一隊で、獅子奮迅の戦いは西軍をなやましたが、衆寡敵せず、維新の夜明けを前にして可憐な花を散らせたのであった。

ここには少年隊と二勇士の碑があり、当時西軍の隊長 野津道貫の歌
うつ人も うたるる人もあわれなり ともにみくにの民とおもえば

と、陸軍大将従二位木越安綱の歌碑
色かへぬ 松間の桜散りぬとも 香りは千代に残りけるかな

がある。

大壇口に出陣した二本松少年隊は63名のうち、22名で、戦死者は隊長木村銃太郎をはじめ16名、戦傷者6名であり、戊辰戦史上特筆すべき一大決戦の地である。

二本松市民で歴史が好きな人は、この文章を読んだだけで涙ぐんでしまいます。
ただ…この看板には”大壇口の二勇士”についてあまり詳しく書かれていないため、私が説明を補足させて頂きます。

”大壇口の二勇士”とは、青山助之丞、山岡栄治の2名を指します。
正確には『二本松少年隊』の隊士ではなく、彼らは当初、小野新町へと出陣しておりました。

しかし、隣接する三春藩が急遽裏切ったことによって所属していた隊は退却。
二本松領内へと戻ってきた青山と山岡の両名は、この地で壮絶な戦いを続けていた『二本松少年隊』を助けるため、敵陣目がけて抜刀し斬り込んだ…というのが定説となっております。

結果的に、青山と山岡の2名は敵軍9名を倒したところで、銃弾を全身に浴びて戦死。
このような奮闘ぶりがあったことからこそ、後の日清戦争や日露戦争で活躍し元帥となった敵軍・野津道貫らから歌を贈られたのであります。

奇しくも、今年の大河ドラマの主人公は薩摩藩の西郷隆盛。
おそらく歴史的には極めてマイナーな存在の二本松藩でありますから、大河ドラマではあまり触れられることはないでしょう。

しかしながら、『戊辰戦争』で激戦を繰り広げたのは会津藩や白虎隊だけではありません。
”大壇口の二勇士”と称された青山や山岡、そしえ幼くして戦場に立った『二本松少年隊』という存在があったことを、二本松市民の私達はこれからも後世に伝えていかなければなりません。



コメント

タイトルとURLをコピーしました