血統史たらればなし(栗山 求)

浅見家の本棚

血統史たらればなし/栗山 求

スポーツの中でも、特に競馬に関しては『たら・れば』はタブーと言われています。
ギャンブルという側面もあるからだと考えられますが、一口に『競馬』と言っても人によっては様々な楽しみ方があります。

その『競馬』の楽しみ方の1つに、『血統』という要素が挙げられます。
『競馬』の主役・サラブレッドの始まりは18世紀初頭で、我々人間以上に血統によって歴史を築いてきました。

現在競馬場で元気に走っているサラブレッド達の父や母、祖父、祖母もまたサラブレッド。
今回のブログは『競馬』が人々を魅了させる『血統』に関する本、『血統たらればなし』という本について紹介したいと思います。

本書の著者は、血統評論家の栗山 求さんで、競馬月刊誌『サラブレ』にて連載されていたコーナーが1冊にまとめられたものです。

本書では古今東西の名馬90頭に関する血統の”if”が記載されていますが、今回は私が個人的に日本競馬界に大きな影響を及ぼした…と判断したものを取り上げたいと思います(厳密にいうと、全ての事例が影響を及ぼしているのですが)。



衝撃! 大種牡馬ベンドアは実は別の馬だったことが発覚!

父系をさかのぼっていくとサンデーサイレンスノーザンダンサーミスタープロスペクターに繋がるベンドアには、衝撃の事実があることが近年分かった。
同じドンカスターを父に持つタドカスターと入れ替わっていたことが、130年の時を経てDNA分析によって正式に判明した。

零細血統の巨星マンノウォーが種付け制限をされなかったら

サラブレッド三大始祖の中で最も勢力の弱いゴドルフィンアラビアン系には、かつてマンノウォーという名馬がおり、種牡馬としても優秀な成績を収めていた。
しかし…マンノウォーには馬主によって年間25頭という種付制限が設けられていたため、産駒を数多く残すことができなかった。
それが今日の系統衰退に直結している。

期待された兄を超越したグレイソヴリンの意外な成功

戦績が凡庸だったスプリンターのグレイソヴリンが種牡馬になれたのは、英ダービー等の大レースを勝利した半兄・ニンバスのお陰。
その結果、グレイソヴリン系は日本でトニービンが種牡馬として大活躍。
エアグルーヴジャングルポケットなど多くの名馬が輩出された。



ナタルマの骨折がもたらしたノーザンダンサーの誕生

ノーザンダンサーの母・ナタルマは、調教中の故障によって1960年の春に急遽引退。
滑り込みで繁殖入りしたが、有名な種牡馬は既に種付けを終えていた。
結果的に、初年度の配合相手に選ばれたのは新種牡馬・ニアークティック
これにより誕生したのが後の大種牡馬・ノーザンダンサーであり、その血は世界各地に広がっていった。

第3候補として買われた無名種牡馬パーソロン

パーソロンを日本に導入したシンボリ牧場(和田共弘 氏)は、当初は他の種牡馬を購入する予定でヨーロッパを訪れていた。
しかし…第1・第2候補を買えなかったため、仕方なくパーソロンを購入。
パーソロンは後にシンボリルドルフの父やメジロマックイーンの祖父となり、オルフェーヴルの誕生にも大きく影響した。



銃口から生まれた血統ゴールドディガーとミスタープロスペクター

1955年、アメリカの名馬・ナシュアのオーナーが妻に自宅で射殺された事件が発生。
これにより、ナシュアはスペンドスリフトファームに売却された。
スペンドスリフトファームで種牡馬入りしたナシュアを父に持つ、ゴールドディガーという牝馬が1962年に誕生。
大種牡馬・ミスタープロスペクターの母である。

天皇賞3代制覇から凱旋門賞へ メジロアサマが残した大きな夢

パーソロンを父に持つメジロアサマは受精能力に乏しく、13年間でわずか18頭しか産駒を残すことができなかったが、その中からオルフェーヴルの母父・メジロマックイーンが産まれる
オルフェーヴルの凱旋門賞挑戦は、日本競馬界の悲願。
特にメジロアサマからメジロマックイーンにサイアーラインを繋げてくれた北野豊吉 の執念には、競馬ファンとして敬服する他ない。

イタリアGⅢ1勝馬のアルザオが種牡馬になれた訳

イタリアGⅢ1勝のみのアルザオだが、その良血を見込まれてアイルランドのリアム・キャッシュマンに購入されて種牡馬入り。
アルザオは、種牡馬入りすると100頭以上のステークスウィナーを輩出。
その中にウインドインハーヘアも含まれており、キャッシュマンの英断が無ければディープインパクトがこの世に生を受けることは無かった。

デビュー前に二度死神から逃れたサンデーサイレンス

サンデーサイレンスは、デビュー前に命を失っていた可能性があった(ウイルス性の腸炎と、乗っていた馬運車の横転事故)。
サンデーサイレンス不在なら、トニービンブライアンズタイムの系統が日本の種牡馬リーディングの上位を席巻し、その他の血統の運命も大きく変わっていたはず。
生産界も社台一強ではなかったかも?

大富豪J・ゴールドスミスの大いなる遺産モンジュー

エルコンドルパサーを凱旋門賞で破ったモンジューは、トレヴの祖父。
大富豪J・ゴールドスミスによって生産された。
そのゴールドスミスが1997年に死去したことで、モンジューは1歳時にクールモアグループへと売却され、現役生活を経てクールモアスタッドで種牡馬入り。
モンジューは種牡馬として、トレヴの父となるMotivatorを輩出。
結果的に、日本馬による凱旋門賞制覇を2度も阻止する血統となった。

本書『血統たらればなし』には、今回取り上げたものの他にも様々な名馬の血統に関するエピソードが書かれています。

サラブレッドの血統は、我々も想像できない程のストーリーの上に成り立っていることが改めてよく分かる1冊です。
競馬ファンの方は必見です。



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