【天才ジョッキー・武豊の栄光、挫折、復活の全記録】誰も書かなかった武豊 決断/島田 明宏

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『誰も書かなかった武豊 決断』/島田 明宏(徳間書店)

武豊ジョッキーといえば日本競馬界の代名詞のような存在。
1987年のデビュー以来”天才”の名を欲しいままにし、ディープインパクトやスペシャルウィーク、キタサンブラックなどの数々の名馬に跨ってきました。

今回取り上げるのは、そんな武豊ジョッキーがテーマの一冊。
タイトルは『誰も書かなかった武豊 決断』。
著者はライターとして活躍中の島田 明宏さんです。

島田さんは、武豊ジョッキーと親しいことでも知られています。
そんな島田さんだからこそ書けた内容がびっしりと詰まっている一冊と言えるでしょう。

【概要・目次】『誰も書かなかった武豊 決断』

『誰も書かなかった武豊 決断』は2014年8月に発売されました。
武豊ジョッキーといえば競馬を知らない人にも知られている超有名人ですが、やはり本書の内容を考えれば競馬ファンの方にぜひ読んでほしい一冊。

若くして日本競馬会を牽引する存在となった武豊ジョッキーですが、実は2000年代以降、落馬負傷をきっかけとしてスランプに陥っていた時期がありました。

歴代最多・6度目の日本ダービー制覇を遂げるなど、近年も大車輪の活躍を見せている武豊ジョッキーは、どのようにして復活し、現在に至っているのでしょうか。
武豊ジョッキーの親友である島田さんだからこそ書けた本書にその答えが書かれています。

なお、以下に示すのは『誰も書かなかった武豊 決断』の概要と目次です。

概要(Amazon紹介ページより引用)

20年来の”心友”作家が初めて明かす、天才・武豊『苦難の日々』の真実!
有名馬主との確執から悪夢の落馬事故、そしてどん底のスランプまで。
天才は何を悩み、『決断』したのか?
逆境から這い上がるまでの『心の軌跡』全記録!
『逆境に負けない』天才が明かした復活までの『葛藤』『苦悩』『心の声』がすべてわかる1冊。

『誰も書かなかった武豊 決断』 目次

第1章 宿命 ~なぜ『武豊』は美しくしなやかなのか?
第2章 伝説 ~『心をあやつる技術』はこうして生まれた
第3章 戦略 ~名馬が育てた『勝つ思考力』
第4章 理論 ~試行錯誤でつかんだ『勝利のセオリー』
第5章 野望 ~それでも『世界と戦う』理由とは何か?
第6章 重圧 ~『究極の精神』はいかにして鍛えられたか
第7章 逆境 ~あの『どん底』で何を思ったのか?
第8章 決断 ~いま『武豊』が考えていること

『誰も書かなかった武豊 決断』は、どんな人にオススメ?

読書をするにあたり、本の好みは人それぞれ。
本書『誰も書かなかった武豊 決断』はどんな人にも読んで欲しい一冊ですが、特に以下のような人におススメです。

①競馬ファン
②武豊ジョッキーのファン
③仕事や勉強が上手くいかず悩みを抱えている人
④プレッシャーに弱いという悩みを抱えている人

①と②については、本書の大きなテーマであるだけに当然と言えるでしょう。
天才と称された武豊ジョッキーがスランプから復活するまでのストーリーは、競馬ファンのみならず読む価値は非常に大きいと思います。

また、挫折に屈しない生き方という観点から考えれば、③や④のような悩みを抱えている人にとっても大いに参考になる一冊です。

【読後の感想】『誰も書かなかった武豊 決断』を読み終えて

冒頭でも述べたとおり、武豊ジョッキーは1987年にデビューしてから現在に至るまで、日本のトップジョッキーとして競馬界を引っ張り続けてきました。

本書の著者・島田さんは武豊ジョッキーの親友。
そんな島田さんにしか書くことができない、武豊ジョッキーの側面がまとめられた一冊から、私が個人的に印象に残っている箇所をピックアップします。
※若干のネタバレを含みますので、ご注意ください。

①エアロフォームを導入したのは…

1980年代後半、武豊ジョッキーは武者修行のために渡米。
競馬の本場とも言われるアメリカでジョッキーとしての腕を磨いたのはもちろんですが、武豊ジョッキーはエアロフォームを日本に持ち帰りました。

ジョッキーは勝負服を着てレースに出走します。
競走馬は時速60~70㎞で走ると言われていますが、このスピードで受ける空気抵抗は相当なもの。
武豊ジョッキーがアメリカから持ち帰ったエアロフォームとは、この空気抵抗を最小限に抑えるための新たな勝負服のことです。

今では当たり前になったエアロフォームですが、武豊ジョッキーがこの時にアメリカから持ち帰らなければ、日本競馬界での導入は更に遅れていたことが予想され、それに併せて90年代後半からの海外での日本馬の躍進もなかったのではないかと思いました。

②ダービーは競走馬のデビュー前から始まっている

日本ダービーといえば、3歳馬の頂点を決める大レース。
競馬に関わる全てのホースマンが目指す大舞台ですが、武豊ジョッキーは日本ダービーを6度制覇しています(歴代最多)。
しかし…そんな武豊ジョッキーをもってしても、デビューしてから10年以上日本ダービーを勝つことができませんでした。

若かりし頃の武豊ジョッキーが最も日本ダービー制覇に近付いたのは、ダンスインザダークに騎乗して2着惜敗した1996年でしょうか。

ダンスインザダークは姉・ダンスパートナーの活躍もあり、デビュー前からクラシック戦線を期待されていた1頭でしたが、アクシデントによって皐月賞を回避。
前哨戦・プリンシパルS快勝後に日本ダービー本番に臨んだダンスインザダークでしたが、当日は若干の入れ込みや想定よりも前目の位置取りが災いし、フサイチコンコルドの強襲に遭ってしまいました。

このことから武豊ジョッキーは、日本ダービーを制覇するにはレース当日の準備だけでは到底足りないことを実感したとのこと。
当日だけではなく前哨戦やその数戦前、デビュー戦、調教などそれまでの取組み全てが作用することを痛感し、この時の反省を2年後に活かしました。
その成果が、1998年の日本ダービー初制覇に繋がったのです(騎乗馬スペシャルウィーク)。

③ディープインパクトに乗る重圧

3点目は不世出の名馬・ディープインパクトについて。
ディープインパクトといえば…シンボリルドルフ以来、日本競馬史上2頭目となる無敗でのクラシック三冠を達成した名馬中の名馬。

戦績は14戦12勝(凱旋門賞の戦績も含む)とほぼパーフェクト。
現役を引退しても種牡馬として数々の名馬をターフに送り続け、2012年から日本のリーディングサイアーに輝き続けています。

そんな完璧な存在のディープインパクトに、レースで騎乗したのは世界中で武豊ジョッキー1人のみ。
あれだけの馬に乗っている武豊ジョッキーの姿を、ユーチューブなどの映像で見てみると『楽にレースを勝っている』ように映りますが、実際はそうではなかった様子が本書には書かれていました。

著者・島田さんの言葉を借りると、”ディープインパクトは、スイッチが入ってしまったら一気に燃焼し切ってしまうような危うさを持っていた”とのこと。
ディープインパクトが活躍していた2年間、武豊騎手はそういった見えない重圧と共に毎日を過ごしていたようで、マスコミの取材にもナーバスになっていた…とのことです。

まとめ

私自身が競馬好きということもあり競走馬やジョッキー絡みの本を読んでしまうと、いつもより熱が入ってしまいます。

本書『誰も書かなかった武豊 決断』についても例外ではありません。
特に武豊ジョッキーが騎乗してきた名馬達は私が競馬を見始めた中学時代以降に活躍をしており、ページを読み進める度に感情移入してしまいました。

人は誰でも調子の良い時期や悪い時期を経験するもの。
しかしながら”止まない雨は無い”の言葉どおり、スランプを乗り越えれば人の運命は再び好調期に転じるものと思います。

天才と称された武豊ジョッキーにも不調やスランプの時期がありました。
それらを跳ね返したからこそ今に続く大活躍がありますし、前人未到と言っても良い、歴代最多・6度目の日本ダービー制覇へとつながったのです。

[Amazonのアソシエイトとして、私、浅見ヨシヒロは適格販売により収入を得ています。]

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