乱読のセレンディピティ(外山 滋比古)

浅見家の本棚
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乱読のセレンディピティ/外山 滋比古

【セレンディピティ】
偶然、素敵なものに出会ったり、予想外のものを発見すること。
また、目的以外のものを偶然見つけること。

200万部を超える大ベストセラー『思考の整理学』で知られる、外山 滋比彦さんによって書かれた読書関連本。
それが、今回要約する『乱読のセレンディピティ』。

そもそも『セレンディピティ』って何?

という方のために、通り一遍の内容ではありますが『セレンディピティ』の意味を冒頭に挙げさせて頂きました。

言うなれば…『偶然なる素敵な出会い』とでも言ったところでしょうか?
それは単純に『本そのものの出会い』に加え、『乱読によって思いがけない効果を得られる』という意味も含みます。



『読書』という行為を必要以上に尊いものに感じたり、重苦しく考えない。
本はじっくりと読まなければならないというのは大いなる勘違いで、読んだ内容は忘れても構わない(ただし、本は買うに限る…)。

自分自身の備忘録も兼ねて、今回も要約していきたいと思います。

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1. 本はやらない

読書にも、距離の美学が働く。
我々は近い存在から何かを学ぶことが下手で、逆に遠い存在から教えを受ける。
そのため…友人でも他人に本はやらない。
本は買って読むべき。
沢山の本の中から読む本を決めるのが、知的活動となる。
最も面白い読書法は、『乱読』である。

2. 悪書が良書を駆逐する?

現代の学校は、良書の部分的引用を読ませることで伝承を図っている。
しかし、これは結果的に読書嫌いを増やすだけである。
本の場合…面白いものが悪書、勉強になるものが良書。
良書は古典として生き残るが、近代の学校教育によって読書嫌いを増やすだけだった。
その結果、悪書の量的支配を許す結果となった。

3. 読書百篇神話



『読書百篇、意自ら通ず』はフィクション。
意味を100%理解するために、同じ本を繰り返し読み続けることが賢明かどうか疑問である。
本は読み捨てで構わないし、読んだら忘れるに任せる。
勉強だと言って専門の本を読み過ぎると、知的病人になってしまう。
いわゆる『専門バカ』は、その一つ。

4. 読むべし、読まれるべからず

本をありがたがって読み過ぎると、心の近眼となる。
結果、ものがよく見えなくなってしまう。
(読書メタボリック症候群型近視)
所詮、知識は全て借り物。
問題は、その知識を不当に喜んでしまう勘違い。
それでは健全な生き方を送ることは叶わない。
書く言葉よりも、大きな意味を持っているのは話す言葉。
読書がいけないのではなく、読んだことを活かせるかどうか。
ただ本に追随することを、恥じなければならない。

5. 風のごとく…

言葉の流れは、映画フィルムのようなもの。
ある程度のスピードをもって読まないと、分かるものも分からなくなってしまう。
本は風の如く、爽やかに読んでこそ。

6. 乱読の意義

『アルファー読み』と『ベーター読み』という読み方がある。
アルファー読み…書かれていることが分かっている場合の読み方
ベーター読み…内容や意味が分からない場合の読み方
ベータ―読みの方が遥かに重要だが、今の学校教育ではこれを学べない。
昔の寺子屋では、初めからベーター読みをさせていた。
昔の人は、この点で今よりも賢かった。
とにかく、一定の小さな分野に籠らないこと。
広い知の世界を、好奇心に導かれるままに放浪する。
乱読を続けていれば、教養を身に付けることができる。
失敗を恐れない…それが乱読に必要な覚悟。
世の中には、良い本も悪い本も数多くあるため、失敗することも多々ある。
人間は、失敗によって学ぶ…乱読は、その点でも実り多きものである。



7. セレンディピティ

乱読する本は、分からないことの方が多い。
そのため…途中で投げ出すこともあるが、読む者に対して科学的影響を与える。
多くの発見のチャンスがある。

8. 『修辞的残像』まで

『修辞的残像』の仮説。
言葉は一つ一つの残像を持っており、次の言葉と結びつく。
既に例えが出されたが、言葉は映画のフィルムにも似ている。
乱読を、粗雑な読み方のように扱ってはいけない。
ある程度のスピードで読むものが案外得ることが大きく、それが乱読の効用である。

9. 読者の存在

読者は作品を構成する必要条件。
読者の無いものは、文書記録ではあっても文学作品とは言えない。
(読者論)

10. エディターシップ

【エディターシップ概念(第二次創造論)】
第一次想像の素材だけでは、読者は楽しめない。
そこに手を加え、第一次想像には無かった価値を与えること。

11. 母国語発見

明治以来、日本語と日本人は論理的でない。
これは、島国的性格(アイランドフォーム)故である。
アメリカの週刊誌では、日本語は『悪魔の言葉』と呼ばれた。
その根拠は…人称の多さ。
しかし、その人称こそが古典を作り出してきた。



12. 古典の誕生

古典は、作者が生むものではない。
第5人称(時間的な要素)…後世の受容によって創り上げられる。
古典において、『絶対的作者』という概念は修正されるべき。

13. 乱談の活力

当分の間、コンピューターが人間に勝てないのが『おしゃべり』。
『おしゃべり』…つまり、自分以外の人間との乱談はそれだけ高度な知的活動である。
現代医学は、まだ『ストレス』についてよく分かっていない。
しかし、乱談によるストレス解消力は、アンチエイジングの最も有効な方法。
社会福祉の観点からも、精神の活性化は必要である。

14. 忘却の美学

知識を取込み過ぎ、それを使うこともなく頭に溜めておくと、知的メタボリックシンドロームになる恐れがある。
その中で大事なことは、『忘却』である。
人間の頭の働きに、『自然忘却』がある。
朝起きると頭がスッキリしているのは、この働きによる。
その反面、不眠不休による作業や勉強は効率が非常に悪い。
記憶は、忘却の力を借りて代謝を経て再生される。
しかも、その記憶は美化される傾向があり、それと同時に創造的変化も起こる。
セレンディピティに繋がることも少なくない。

15. 散歩開眼



『私の頭は、歩いてやらないと眠ってしまう』
(モンテーニュ)
散歩は、健康だけではなく頭の働きにとってもプラスをもたらす。
読書においても、散歩のような読み方…つまり、乱読が思いもがけない効果や発見を生んでくれることだろう。

16. 朝の思想

『朝飯前の仕事』とは簡単に片づけられる仕事…という意味だが、その真意は『朝飯前の時間が最も効率が良い』ということである。
夜よりも、朝が良い。
朝の頭は忘却により清掃済みで、一日で最も良い状態。
読書(乱読)や散歩と合わせることで、人生に良い効果が生まれる。

思考の達人…とでも言うべき存在の、外山さん。
まずは騙されたと思って、乱読、早起き、散歩を始めてみましょう。



頭の働きが抜群に良くなり、セレンディピティ…図らずも新たなアイディアや考えがもたらされるかもしれません。

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