現代語訳 論語と算盤(渋沢 栄一・守屋 淳)

浅見家の本棚

現代語訳 論語と算番/渋沢 栄一・守屋 淳

今回の読書本の要約は、守屋 淳氏の『現代語訳 論語と算盤』。
『論語と算盤』とは…明治から大正にかけて実業家として活躍した渋沢栄一が、『論語』をベースに後世の企業家のために自身の経営哲学を語った談話録です。

『日本実業界の父』とまで呼ばれた渋沢栄一は幼い頃から『論語』を読んで学び、明治維新を経てから事業を興し、近代日本の振興に尽力をした偉大な人物です。

『論語』って難しいんじゃないの?

私達のような一般人には、『論語』なんてとても分からないわ…

中国の思想家・孔子の弟子達によって編纂された古典『論語』の名を耳にすると、恐らくこのようなイメージを抱いてしまう方がほとんどだと思います。
実際、私もそうでした。

この本は評論家の守屋 淳氏が、そんな難しいイメージが定着している『論語』を現代語に訳してまとめてくれたものです。

私達にも分かるような形で仕上がっているため、『論語』を読んで意味を履き違えるようなこともなく、無理なく読み進められるのが本書の特徴です。

第1章 処世と信条

論語と算盤は、一見かけ離れているように見えるが、実はとても近い存在。
道理と事実と利益は、必ず一致するからである。
これからの時代は『武魂商才』(武士の精神と商人の才覚を併せ持つ)。
士魂も商才も、『論語』で養うことができる。
全ての人に共通する教訓である。
逆境には『人が作ったもの』と『人にはどうしようもないもの』の2つがある。
後者に立ち会った際には『これも自分の本分』と覚悟を決め、腰を据えてかかるのが唯一の策である。
災いの多くは、得意になっている時に起こりがち。
そんな時こそ、どのようなことにも同じ考えや判断で臨むこと。
『小さなことは分別せよ。大きなことには驚くな。』(水戸光圀)

第2章 立志と学問

木下藤吉郎は織田信長に養ってもらったのではなく、実力で出世した。
小さなことでも与えられた仕事に全力で臨まない者には、立身出世の運を開くことはできない。
志は人生という建築の骨組み。
己を知り、身の程を考え、自身にふさわしい方針を決定しなければ、人生設計を誤る元になってしまう。
人間はいかに人格が円満でも、どこかに角が無ければならない。
自分が信じて正しいとするところは、いかなる場合においても他に譲るようなことがあってはならない。
私(渋沢)は真の志を見つけるまで約15年の時を要し、ようやく実業界に自分の生きる道を見つけることができた。
これから志を立てようとする若者は、先人の失敗を教訓にすべき。



第3章 常識と習慣

常識とは…極端に走らず善悪を見分け、言葉や行動が中庸にかなっていること。
つまり、強い意志の上に聡明な知恵を持ち、情愛で物事を調節することである。
習慣は他人にも感染する。
悪いものについても当てはまってしまうため、注意が必要。

普段から、良い習慣を身に付けるよう心掛けること。
人の行いの判断は『志』と『振舞い』の2つから考える。
心の善悪よりも、その振舞いの善悪に重点が置かれる。
そのため、どうしても『振舞い』に優れ、良く見える方が信用されやすい。
机に坐って本を読むことだけが学問ではない。
普段の行い…つまり、勤勉や努力の習慣が必要なのである。
実践しなければならない。
親や目上を大切にし、良心的で信頼されること。
物事の善悪を判断するのに必要な『意思の鍛錬』を隙の無い形にするには、このような意思を持って決断することが肝要である。

第4章 仁義と富貴

道徳と利益は、どちらも重要なものである。
両者のバランスがあってこそ、国家も健全に成長する。
欲望を実践するにあたっては、よくよく道理を持って臨むこと。
孔子は富と地位を否定していたわけではない。
『道理を伴った富や地位でなければ、貧賤でいる方が良い。しかし、もし正しい道理を踏んで手に入れたものであれば、何の問題も無い』というのが真意。
一昔前は、金銭を賤しむ風習が多分にあった。
しかし、金銭に罪は無い。
マイナス面に囚われず、本当の価値を利用していくよう努力してほしい。
お金は大切にしなければならないが、上手く使うことも同じ位に大事なこと。
よく集めて、よく使い、社会を活発にして、経済活動の成長を促すこと。

第5章 理想と迷信



どのような仕事にも『趣味』を取り入れ、通り一遍のものではない心がこもるものにしなければならない。
ここで言う『趣味』とは、理想のこと。
現在の宗教はほとんどが形式的で、世間では迷信も未だに盛んなままである。
信念が強ければ、下手な迷信に騙されることは少なくなる。
『天に罪を犯してしまえば、いくら祈っても無駄である。』(論語)
枠組みばかりが整備されても、それを使う人の知識や能力が伴っていなければ本当の文明国とはいえない。
それと同時に、国としての経済的豊かさと力強さのバランスも不可欠。

第6章 人格と修養

人の真価は、簡単に判断されるべきでない。
本当に人を評論したければ、その富や地位、名誉は二の次にし、その人が社会に尽力したか否かで行うべきだ。
二宮尊徳による『興国安民法』の手順(相馬藩の財政改革)
①過去180年間の収入統計を作り、60年×3に分け、平均を平年の収入とする。
②90年×2に分け、収入の少ない方を基準とし、その範囲内で支出額を定める。
現実を顧みることなく、理論ばかり身に付けても成長にはならない。
現実の中で努力と勤勉をもって、智恵や道徳を身に付けること。
『自分を磨くのは、理屈ではない。』
人格を磨く効果的な方法は、孔子や孟子の唱えた『忠信孝弟』(良心的で信頼され、年長者を敬う)を重視すること。
これを基本に据え、智恵や能力を発展させる。

第7章 算盤と権利

『論語には権利思想が欠けている』と言われるが、そうではない。
『仁を実践するにあたっては、師匠にも譲らない』と述べている。
キリスト教と比べても、その奇蹟の少なさは信頼に値する。
法律の力ばかりに頼ってはいけない。
資本家も労働者も富める者も貧しい者も、『思いやりの道』を歩むべき。
それこそが、人の行いを計る定規である。
競争とは、勉強や進歩の母であり商売に限らず必要なもの。
その上で大事なことは気配りであり、他人の妨害をしてはならない。
社会に多くの利益を与えるものでなければ、正しい事業とは言えない。

第8章 実業と士道



正義・廉直・義侠・敢為・礼譲。
これらは武士道における重要な要素と言われてきたが、これからの商工業者にも求められるべきものである。
何よりも国のためを思い、公平と親切を忘れないようにしてほしい。
模倣の時代に別れを告げよう。

第9章 教育と情誼

親は自分の気持ち一つで子供を親孝行にもできるが、逆に親不孝にもしてしまう。
『子供に孝行させるのではない、親が孝行できるようにしてやるべきだ。』
今の学問は昔に比べて、知識を身に付けることばかりに力を注いでいる。
そのため、若者は良い師匠を得られていないし、尊敬もしていない。
目的も見失っている。
多くの場合、善良な女性からは善良な子供が生まれ、優れた教育によって優秀な人材ができる。
そのため、女性に対する教育は疎かにしてはならない。
人材にも需要と供給が存在する。
今日の学生は似たり寄ったりで気位ばかり高く、人材は飽和気味。
今は99人の平均的人材を作るのが特徴だが、それは短所でもある。

第10章 成敗と運命

人生の運は、初めからある程度決まっている。
しかし、そうだとしても自分で努力してその運を開拓していかないと、それを掴むことはできない。
人が抱くべき『人道』とは、良心と思いやりの気持ちを基盤としている。
仕事には、誠実かつ深い愛情を持って取り組むこと。
天から下される運命は、四季のように巡ってくると悟らなければならない。
その上で、運命に対して恭・敬・信の態度で臨むべき。
『人事を尽くして天命を待つ』。
この世には、極論的に言えば順境も逆境も無いのかもしれない。
悪い人間にはいくら教えても聞いてはくれない。
所詮、『逆境』は自分で招いた境遇に過ぎない。
とにかく人は、誠実に努力し運命を開いていくのが良い。
成功しても失敗しても、天から下された運命に任せるしかない。
たとえ失敗したとしても、努力を続けていればまた幸運に恵まれる。

以前、別の著者の方が書いた『論語』についての本を読んだことがあります。
私の理解力が低かったのか、その時は『孔子は自分が貧しいことを粋がっている』という印象を持ってしまいました。

守屋氏というフィルターを通して、渋沢栄一は現代の私達にも教えてくれています。
『論語は決して難しいものではない、全ての人に共通する実用的な教えなんだよ』と。



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