読みたいことを、書けばいい(田中 泰延)

浅見家の本棚

読みたいことを、書けばいい/田中 泰延

私のような無名ブロガーにとって、記事を書くための題材や内容を考えるのは悩みの種です。
無名であるが故に、これまでは必要以上に『読み手』を意識して書いていたため、いつしか文章を考えることが苦痛になっていたのが正直なところです。



巷に溢れる文章関連の本と違って、テクニックや小難しい理論が書かれていないのがこの本の大きな特徴です。
大事なことは、案外シンプルなことでした。

この記事を書くにあたり、本書『読みたいことを、書けばいい』についてツイッターで呟いたところ、恐れ多い事に著者の田中 泰延さんにアカウントをフォローして頂きました。
田中さんに怒られない程度に、読んだ内容を要約していきたいと思います。

なんのために書いたか

『お金が欲しい』『成功したい』
こういった考え方で書いてしまうと、結局は人に読んでもらえない文章になる。
全ての文章は、自分のために書かれるものである。

なにを書くのか



『文書』と『文章』は違う。
ネット上に溢れているのは『文章』であり、その正体は『随筆』である。
本書で定義する随筆…『見聞きしたことや知ったことについて、感じたことを書く』
ネット上の人はそんな随筆を書きたいし、読みたいと考えている。
定義を持てば、途中で何を書いているのか見失うことがなくなる。
定義とは、普段使っている言葉に対して疑ってかかること。
自分自身がその言葉の実態を理解しておかないと、他人に意味を伝達することが難しくなってしまう。

だれに書くのか

『読み手』は想定しなくても良い。
その文章を最初に読むのは自分であり、そこで面白くないのであれば書く意味は無い。
『自分が読んでおもしろい文章』=『まだだれも読んでいない文章を自分で作る』。
自分が書こうと思っていることを既に誰かが面白く書いているのであれば、読み手でいた方が楽。
自分の書いた文章は、だれも読んでくれないと思った方がいい。
『だれが書いたか』が、多くの人にとっては重要。
まずは自分の文章を『面白い』と思えれば、それだけで幸せだと気付くべき。



どう書くのか

文章に興味を持ってもらうには、事象を示し、心象を述べる必要がある。
事象は常に人間の外部にあり、そこで自分の内面だけを語っていては決して誰にも受け入れてはもらえない。
事象を示す上で重要なのは『ファクト』。
書くことは、その『ファクト』を調べることから始まる。
自分の考えを総文章の1%以下に留めることで、読み手が主役になれる。
書く対象に対する愛や敬意といった感動がないと、文章を書く意味は無い。
愛するというのは、調べること。
順を追って考え書いていくことで理解へと繋がり、人の気持ちを動かす文章となる。
『事象に出会ったとき、そのことについてしっかり調べて、愛と経緯の心象を抱けたならば、過程も含め、自分に向けて書けばいい』
(P195より引用)

なぜ書くのか



文章は自分がまず面白がることができるものであり、最終的には他者に判断される。
そういう意味では、書くことというのはベンチャー起業と似ている。
『自分が読みたくて、自分のために調べる』
それを書き記すことが人生をおもしろくしてくれるし、自分の思い込みから解放してくれる。(P247より引用)
『書くことは、生き方の問題である』
『自分のために書けばいい。読みたいことを書けばいい。』
(P248より引用)

以上が、著者の田中さんが私のような迷える子羊に向けて示してくれた、文章の書き方です。
タイトルがタイトルなだけに、恐らくこの本に書かれている内容というのは、田中さんが自分で読みたかったことなのでしょう。

私達は、『文章を書く』ということを難しく考えてしまいがちです。
ですが実際にはそんな必要は全く無くて、タイトルのとおり『読みたいことを、書けばいい』

まずは肩の力を抜きましょう。
凝り固まった硬い頭も、柔らかくしましょう。
文章を書くのは、それからでも遅くはないはず。



本屋さんでも多くの話題を集めている本です。
気になった方は、手に取ってみることをおススメします。

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