北条氏を滅ぼした責任は、本当に氏政にあるのか?

浅見家の本棚
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『戦国北条記』/伊東 潤

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北条氏に対する固定化されたイメージ…

北条氏は、三代目の氏康の頃が絶賛ピークだったよね

私を含む日本史・戦国時代ファンからすれば、北条氏についてこのようなイメージを抱いている方がほとんどだと思います。

確かに北条氏康については名君としての印象が強いばかりでなく、河越野戦のように武将としても類まれなる実績があることから、そのイメージは間違ってはおりません。



皆さんもご存知の通り、北条氏は第五代目の北条氏直の代に滅亡することになりました。
しかし、実際にはその父である氏政が家の実権を握ってたこともあって、第四代目の北条氏政に対して世間での評価が低めになっております。

親が偉大だと、子どもは辛いものです

実際、その後の北条家の転落を見ていくと我々の抱いているイメージ通りなんですけれども、個人的な見解を言わせてもらうならば、

四代目の氏政は、生まれた時代が悪かった

としか言いようがありません。

これはあまり知られていない話ですが、実は北条家の領土が最も広かったのは何を隠そう四代目の氏政の時代であったと言われています。



しかも氏政の時代は、小大名や程度の力を持った豪族などが淘汰されてきた時期と重なります。
つまり、周囲に存在していた佐竹、伊達、徳川、武田、上杉が父・氏康の頃よりも更に強大な勢力を持って北条家に圧力をかけてきていた時期です。

そんな大変な時期に北関東や房総半島を支配下に治め、北条家史上の最大版図を作り上げた実績は、暗君ではとても成し遂げることはできないでしょう。
(いくら家臣が優秀といっても…ね。)

偉大な父を持ったが故に、氏政には北条家滅亡から400年以上経った今でも芳しくないイメージが付きまとっています。

親が優秀だと、子どもは辛いものです。
いつの時代も一緒ですね。

北条五代、影のMVPは…

そんな関東の雄、北条家。
歴代北条家五代の中において影のMVPは二代目の氏綱ではなかろうかと思っています。
これは本書を読む前から密かに思っていたことなのですが、読み終わった後にやはり改めてそう感じました。

初代早雲と三代目氏康に挟まれて地味な印象は否めないのですが、北条家の基礎を磐石なものにしたその実績はもっと評価されてもいいはずです。
植物も、根っこがしっかりしていなければ大きくは育ちません。
それと同じことだと思います。



ちなみに、この本において氏政の汁かけ飯のエピソードが欲しかったのですが、敢えて贅沢は言いません(後付けの逸話に過ぎない…という説もあります)。

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