浅見家の本棚

だから人は本を読む 浅見家の本棚 #92

だから人は本を読む/福原 義春

最近レトロゲームの記事ばかりで、書評の方がおざなりになってしまっていました。
読むスピードが遅いという事もありますが、『書評を上手く書かなければ』という理想を持ちすぎてしまってなかなか作業が進みません。

自分の書きたいように書く、そんなスタイルで気軽にこちらの方は進めていきたいと思います。
余談終わり。

また一件、町の本屋が廃業

私の住む福島県二本松市では、また一件、町の本屋さんが廃業します。
単純に『小さい頃よく通った本屋さんが無くなってしまう』という寂しさだけではなく、その町の文化の一翼を担っていた必要なモノが失われてしまったという危機感も感じてしまいます。

本書の著者である福原さんは書籍(本)の流通システムについて警鐘を鳴らしています。
今のままで果たして良いのか?
良くないから町の本屋さんは廃業を余儀なくされているのでしょう。
書籍の流通システムのせいで、新規開業もままなりません。

書籍の流通というのは他の商品を比べて大変遅れているのではないかと考えざるを得ない。
これほどPOSとか、あるいはインターネットとか、電子的システムが進んでいるにもかかわらず、書籍の流通は一向に改善されていない。
こんなことでは、アマゾンのような直売システムが段々勢いを増してくるのも当然かもしれない。
(本文より引用)

恥ずかしながら、浅見ヨシヒロも一時期本屋を開業してみたいと思ったことがあります。
いや、正確に言うと今でもそういう気持ちがあるのですが、本屋は開業するにも一苦労だと実際の経営者の方から話を聞いたことがあり、今に至っています。

その流通システムを語る上では、書店だけではなく出版社と取次という存在も含めて考えなければなりません。
話せば長くなりますのでここでは詳しく述べませんが、本屋を開業するには取次と呼ばれる卸売業者さんと契約せねばならず、その契約にかかる資金が莫大であり、新規で開業するにはハイリスク過ぎる…というのがその書店経営者の方のお話しでした。

これでは本屋の新規開業など簡単に出来るはずもなく、気付いたらその町には本屋さんが一件も無くなっていた…などという話が日常茶飯事のこととなってしまうでしょう。

薄っぺらい本の消費財化

そんな流通システムの上に成り立っている世界だからこそ、本が消費財化している…とも著者の福原さんは述べています。

『出版不況』と言われている中で一年間に発行される本の数はここ数年8万冊前後で推移し、その数は増加傾向であると言われています。

なぜなのでしょうか?
恐らく私の個人的な感想ですが、『下手な鉄砲、数打ちゃ当たる』の精神なのではないかと思われます。

①『どんな本が売れるか分からないから、とりあえず読者の傾向が掴めるまで適当に出してしまえ!!』

②『そうかそうか、今の日本ではこんな本が売れるんだな!似たジャンルの本を沢山出してしまえ!!』

と、いったところでしょうか。

『わかりやすさ』に逃げてしまう読者たち

そこで問題になってくるのが、本の質です。
出版数とその本の中身が比例していれば文句など無いのですが、そうでないからこそ巷には内容の薄い本が数多く出回っていると思われます。

人は何でも単純化し視覚化しないと気が済まなくなってしまったようだ。
しかしその結果、物事への第一歩が踏み出しやすくなって裾野が拡がったり、難しい問題に挑むような機運が漫画世代に高まっているかというとそうでもない。
やはり表層的なわかりやすさだけで満足してように見える。
(本文より引用)

だから最近の小説は読んでいて楽しくないのでしょうか。
専らノンフィクションやビジネス本に避難している、最近の浅見ヨシヒロでありました。

モバイルバージョンを終了