日本軍と日本兵/一ノ瀬 俊也
『日本軍』『日本兵』に対する私達の印象
皆さんは、『日本軍』もしくは『日本兵』について、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
恐らく、多くの方は『神風』や『特攻』又は『行き過ぎた愛国心』といった、悲劇的なキーワードを真っ先に思い受かべることと思います。
実際、私もそうでした。
本書は、その『日本軍』と実際に刃を交えた米軍側から見た、『日本軍』の実態について詳しく解説されています。
何事も客観的な視点や意見が最も説得力があるのは周知の事実ですよね。
しかも、敵側から見た…という辺りが、なお一層その客観的な視点や意見を裏付けることとなっています。
何が日本軍の道を誤らされたのか?
まずは、本文から引用させて頂きます。
”日露戦争後の日本陸軍が『極端な精神主義』をとって『攻撃精神』や『必勝ノ信念』を高唱、『小銃による白兵突撃に過大な役割が与えられ』、かかる『精神主義・白兵突撃主義』はその後、第二次世界大戦期も堅持された。”
(本文より引用)
これは、私も以前から思っていた部分です。
今となっては何が一番正しかったのかは皆目見当もつかないのですが、日本は明治後期に日露戦争に勝ってしまいました(諸説あろうかとはおもいますが、本当にかろうじて)。
勿論、当時の日本軍の皆さんが必死になって『自分の国を守ろう』と戦ってくれたことは痛いほどに分かるのですが、その『勝ってしまった』ことが、日本軍全体に勘違いを生じさせてしまったのだと個人的に考えています。
司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』を読んで頂くとよく分かるのですが、日露戦争で日本軍は本当にギリギリの状態で一応形の上では勝つことができました。
しかし、あれ以上戦争が続いていれば日本軍は恐らく負けていたでしょうし、そのころから『物量』の面で非常に大きな弱点を抱えていたのです。
しかし、日本軍は勝ってしまったのです。
何度も繰り返しになるのですが、勝ってしまったことで
『あれ、実は俺達って結構強いんじゃない?』
的な錯覚に陥ってしまい、資源の少なさという背景があったかもしれませんが第二次世界大戦期において前時代的な白兵突撃主義を主戦略に据えてしまったのだと思います。
冷静に考えてみましたら、戦闘機や戦車、近代的な火器に対して歩兵による突撃で挑むなんて、悲惨な結果しか生まれないのは明白ですよね。
あ…誤解のないように言っておきますが、私は『日露戦争で日本が負ければ良かった』と言っているわけではありませんからね、悪しからず。
米軍側から見た日本軍の印象と、そこから考えられること
”日本兵達の多くは、長く続く戦争を倦み呪っていた。同じ日本兵にも都会と田舎では相当の文化的格差があり、前者は親米。病気になってもろくな待遇は受けられず。戦死した者のみを大切に扱う背景があった。”
(本文より引用)
”日本兵達は白兵戦には及び腰で、集団戦を得意とし、射撃は下手で、勝っている時には勇敢だったが、負けると臆病になった。”
(本文より引用)
この引用文は、いずれも米軍から見た日本軍、日本兵に対するコメントです。
開戦当初、米軍の多くは日本軍を『超人的な者達の集まりではないか』と非常に警戒していたらしいのですが、なんということはありません。
今も昔も、日本人というのはそれほど大差がないようなのです。
同じ遺伝子を持っているのですから当たり前と言われれば当たり前なのですが、昔の日本人も西洋文化に興味があって、集団的意識が強く、今の私達のようにいい意味でも悪い意味でも人間味を持っていたのです。
ですから、誰も好き好んで戦地へは赴かなかったでしょうし、あくまでも国のためというよりかは故郷に残された家族のために出征していったことが予想されます。