悪意の手記/中村 文則
※ネタバレ注意です。
心配性=想像力が豊か
一説によりますと、『心配性な人というのは、想像力が豊かな証拠』とのことです。
なるほど。
その豊かな想像力がある故に、様々なことを考え過ぎてしまうのですね(しかも、悲しいことにそのほとんどは杞憂に終わってしまう)。
そしてそして…その想像力を養うための一つの方法として、大方の予想通り読書が挙げられていますね。
今回紹介する『悪意の手記』は、主人公が極めて致死率が高い難病に冒されてしまったところから物語がスタートします。
結論から先に申し上げてしまいますと主人公は一命を取り留めるわけですが、その一連の中で精神的に追い詰められることとなり、ふとしたことから親友を殺してしまいます。
ありえないことほど、想像力で補ってしまう
その場面を簡単に説明しますと、
『池の傍で身を乗り出しているその親友を後ろから押してしまう』というもの。
読む人によって感じるところは人それぞれなのでしょうが、私が本作で最も印象に残っているのはこの犯行の直前の場面です。
主人公は、犯行の直前に『親友をここで後ろから押してしまったらどうなるのだろう』と考えました。
即ち、想像力です。
私は死ぬほどの病気に冒されたこともなければ、勿論他人様の命を奪ったことなどもございません。
ただし、私も幼少時代に対象を自分に置き換えて同じようなことを想像した経験があります。
例えば、交通量の多い道路。
『車が猛スピードで走っているこの道路に、いきなり飛び込んだら自分はどうなってしまうのだろう?』
例えば、深い渓谷に存在する滝。
『今にも飲み込まれそうな、吸い込まれそうなこの岩肌の谷の中に身を投じたらどうなるのだろう?』
このようなありえないことほど、私は想像力によって補ってしまいます。皆さんには同じような経験がありませんか?
まずもって言っておきたいのですが、私は自殺願望などは微塵も抱いたことがありません。
しかし、そんな自分ですらふとそんなことを考えてしまったことがこれまで何度もあるのです。
想像力という共感のキーワード
以前私は、ピース・又吉先生著の『夜を乗り越える』のレビューをこのブログに載せさせて頂きました。
芥川賞作家・又吉先生によりますと、面白い本というのは『共感できる』ということ。
その時は私も『なるほど』と、ひどく納得したのでありますが、その定義からいきますと今回『想像力』というキーワードにより、私はこの『悪意の手記』に共感を抱いてしまいました。
つまり、私にとってこの本は『面白かった』という結果に帰結したことになります。
当然、今をときめく中村文則さんの作品ですから大変楽しく読ませて頂いたのですが、読後は上記のような共感の件もあり、お腹一杯になってしまいました。