『僕らは何故レトロゲームを遊ぶのか』/前田 尋之
『強くてニューゲーム』!?
”ノスタルジック”・”懐古厨”と言ってしまえばそれまでなのですが、最近(ここ2~3年)になって自分が幼い頃の風景や情景だとかに対して、強い懐かしさを感じるようになってしまいました。
しかも、可能であれば『強くてニューゲーム』的なある種のチート状態のズルい考え方ではありますが、中身は今のまま昔の自分に戻りたい、とさえ思っている現在30台前半の私です。
※『時をかける少女』ならぬ『時をかける青年』…いや、『時をかける少女』は外見そのままにタイムスリップしているわけだから厳密には違いますね。
ゲームに対する昔と今の自分
レトロゲーム。
リニューアルしたこのブログでは未だ現在取り上げてはいないのですが、やがては書評と共にメインのコンテンツとしていく予定ですが、私としては『レトロゲーム』というこのフレーズを耳にするだけで、昔懐かしい情景を思い返すことが出来ます。
『いつまでファミコンやってるの!!』小さい頃、それこそ親に怒られるまで(いや、むしろ怒られてからが勝負なんですが)ゲームをプレイしていたわけですが、間もなく30台も半ばを迎える現在となっては勿論そんなことはなく、特に最近のゲーム(プレステ3や3DS)を始めると、僅か30分足らずで何故か飽きが来てしまうようになってしまいました。
かつて子供だった私達がゲームを楽しめた理由
自分が年をとった…確かにそうでしょう。しかし、年齢以外の要因が本書『僕らは何故レトロゲームを遊ぶのか』には書いてあるのです。
ファミリーコンピューター…通称ファミコンを始めとするあの頃(つまり20~25年程前)のゲーム達は、今ほどグラフィックはきれいではなかったですし、ソフトの容量自体も極端に少ないものでした。
しかし、それでも十分楽しかったのです。楽しめたのです。
おもちゃ屋などに行った際に、例え新しいファミコンソフトを親に買ってもらえなくても、ショーケースに並んでいる宝の山を目の前にして、それらを眺めるだけで満足できていた幼き自分が確かのいたのです。
私はもう、その当時の両親の年齢位になってしまいました。大人になってしまったことで、自分で仕事をして給料をもらう身分になり、予算の許す限りではありますが好きな物をいくらでも買えてしまう経済状況を手にしてしまいました。
なかなか買ってもらえなかったからこそ私達はファミコンに夢中になることができ、手持ちのソフトを友人達と貸し借りするなどして遊び合えたあの日々はもう戻ってはきません。
このなんとも言えないもどかしい気持ちをもう少し上手く伝えたいところなのですが、生憎私の拙い文才ではこれ以上表現できそうにありません。興味のある方は、是非この本を買って読んでみて下さい。
そして最後にゲームメーカーの皆さん、スマホのゲームも結構ですが、コンシューマーでもきちんとした面白いゲームを作って下さい。好きなゲームのシリーズ最新作がソーシャルゲームだと知った時のある種の終焉感は言葉にできない程です。ひとつ宜しくお願いします。
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