『語彙力こそが教養である』 /齋藤 孝
最近になって、日本語は難しいことに気付く
ある程度責任のある立場になった(給料は安いんですけど)最近になって、ようやく私は『日本語って難しいな』と感じ始めるようになりました。小さな頃から日本語を使っているので、例えば学生時代に英語を習うような形で習得自体を苦労しているわけではないのですが、言葉尻一つ取ってみても意味が全く違ってきたりするなど、最悪の場合誤解を招いてしまうケースも少なくないのではないでしょうか。”て・に・を・は”一つで、文章のイメージがガラッと変わってしまうこともありますので、注意したいものですね。
様々な意味を持つ『やばい』
そんな事前知識を頭に入れた時点で本書に目を通しながら周囲の状況を振り返ってみますと、まぁ確かにその通りだなと思う所がないでもありません。
・『やばい』例文<やばい、寝坊して電車に乗り遅れそうだ!!>
普通に考えると、実際に添えてみた例文のように、大変よろしくない状況に陥った時に使う言葉ですね。でも、この『やばい』という言葉ですが、最近ですと驚くほど嬉しい又は楽しい状況などになった時にも使う場合が、若い人を中心に増えています。
・『やばい』例文①『ヤバイ、超嬉しい!!』
・『やばい』例文②『何これ、やばい楽しい!!』
と、いった具合です。ここまでくると、『やばい』一つでいくつもの意味を会話中で生み出してしまう日本人に若干尊敬の念を抱いてしまうレベルですが、改めて『やばい』の使い方が多様化…と言うと聞こえがいいかもしれませんが、本書の著者である齋藤 孝先生はこういった減少に警鐘を鳴らしています。
『語彙』一つで判断・評価される社会。
まぁ、かくいう自分も他人に胸を張れるような語彙力を持ち合わせていないからこそ、この本を手に取ったわけでして、具体的な例えはこれ位しか咄嗟に浮かびませんでした。最悪の場合、持ち合わせている語彙一つでその人となりが判断・評価されてしまうことがありますので、地道に読書などを重ねるなどして、自分という人間性に深みを持たせることが重要ですね。
余談ですが… よく『好きな女性のタイプは?』 と聞かれることが多いのですが、私はいつもこのように答えています。『語彙が豊富な人ですかねー』と。
で、そう答えますと殆どの人には 『ゴイ?ゴイってどういう意味ですか?』 と聞き返されることがしばしばあります。 こんな状況になると、本当にやばい位に面倒くさくなりますよね。だから最近は『好きな芸能人に似ている人』と、差しさわりのない回答に終始していたりします。
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