百歳までの読書術 浅見家の本棚 #97

浅見家の本棚

百歳までの読書術/津野 海太郎

『定年』、『老後』、『引退』。
これらの言葉ほど、今の私をときめかせる言葉は無いのかもしれません。



基本的に仕事が…働くことが好きではない(好きな人はそうそういないと思いますが)私は、本当に今から定年後の生活が待ち遠しくてたまらないのです。

現在の私の職場の定年は。官公庁に倣っているのか60歳ということになっています。
『今時、60歳定年は早いよねー』
なんて声がどこからか聞こえてきそうですが、私からすれば60歳まで待てないという思いの方が強かったりします。

『働き方改革関連法案』の可決・成立

『働き方改革関連法案』が、つい先日参議院本会議で可決し、成立致しました。
政府もしばらくは、手探り状態の中で様々な施策を展開してくることと思いますが、恐らくこれから少しずつ私達の『働き方』が変化していくことが考えられます。

ゆくゆくは週休3日制になるのでしょうか?
一日当たりの勤務時間が減るのでしょうか?
それは現段階では全く分かりません。
従業員を雇用する企業や団体によって実施する内容もそれぞれ異なるでしょう。

現在30代である私が今の職場でそれなりの地位になった時には、恐らく定年の定義は今とは違っていることでしょう。
早くとも65歳、もしかしたら70歳定年なんていう恐ろしい事態になっているかもしれないと考えると、今から気が滅入るばかりです。

『百歳までの読書術』とは?

何やら、愚痴っぽい出だしとなりました。
本書『百歳までの読書術』は2015年に本の雑誌社から刊行されました。
著者である津野 海太郎は昭和13年生まれの現在80歳。

タイトルの100歳まであと20年も期間があるが、刊行当時の77歳。
この時点で、『100歳というある種の到達点まで、どのように本を読んでいくのか』について色々と考えているのがよく分かります。



以下、津野氏が考える『百歳までの読書術』について引用します。

『百歳までの読書術』は、私にとっては『七十歳からの読書術』とほとんどおなじ意味になる。
その最終段階に足を踏み入れ、このさき、じぶんの読書がどのように終わってゆくのか、そのおおよそがありありと見えてきた。
となれば、こここそが私の読書史の最前線である。
好奇心をかきたてられずにいるわけがないよ。
(本文より引用)

百歳も七十歳もそれほど変わらない…的な書き出しで始まってはいますが、私はここに津野氏の本質を感じました。
タイトルにて謳ってはいるものの、『百歳』という数字自体には特段意味などは無いのではないか?と。

自分が何歳であろうと、現在…この時こそが、今までの自身の中で最も経験豊富且つこの世に生を受けてから時間が経過しているのであって、正しく『最前線』。
そして、これまでの人生で様々なものを見て、聞いて、感じてきたからこそ、自分の読書人生がどのように最後を迎えるのかがおぼろげながら見えているのだと思うのです。

まだ七十。
されど七十。

いかにして残りの人生において本と付き合っていくのかが、本書の見どころだと個人的に思います。
厳密に言ってしまうと『読書術』ではないのかもしれませんが、心構えのようなものを教わった気が致します。

誰にでも訪れる、その時。

一昨日、落語家の桂歌丸さんが81歳で亡くなりました。
幼少時代から毎週日曜日の夕方には『笑点』を見て育ってきましたので、先代・円楽さんに続いて歌丸さんが亡くなったことは本当に衝撃的で悲しいニュースでした。

桂歌丸さんのようにその道を究めた偉大な方にも、そうでない一般の方にも、そして私のようにノホホンと生き続けながら何も爪痕を残さない平凡な人にも、誰にでも最後の時はやってきます。
生き物ならば、避けることができない現実です。

文字わすれ、漢字わすれが急激にすすむと、ほどなく死神の冷たい指先がわれわれの背にふれる。
どうやらそういう段取りになっているらしい。
(本文より引用)

津野氏はこのように、最後を迎える人間の…いわゆる『終わりの始まり』について、このように語っています。



どうせ人間、最後には死ぬことは決まっているのですから、かきたてられる好奇心に身を任せ、読みたい本を買う。そして読む。
そして、言いたいことは言う(ただし、他人…特に若い人には迷惑をかけない程度に…)。
自分もこのように年を取りたいものだ…と、悟ったような気分になったことは言うまでもありません。

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