飛ぶ教室 浅見家の本棚 #58

浅見家の本棚

飛ぶ教室/エーリッヒ・ケストナー

『飛ぶ教室』を引用で振り返る

エーリッヒ・ケストナーの名著として知られる『飛ぶ教室』を読み終えました。
古典的名作を読んで、私なんぞがとても偉そうな書評などは勿論書きませんし、掛けませんので引用を用いてここに記すこととしましょう。
私が本作を読んで、最も印象に残っているのは以下の部分です。

禁煙さんは正義先生と腕を組みました。
『いちばん大切なことは忘れないように。』
『この、二度と忘れられないときにあたって、わたしは諸君におねがいしたい。きみたちのこどものころを忘れるな!と。諸君がまだこどもでいる現在、これはまったく、よけいなことのようにきこえるかもしれません。しかし、よけいなことではないのです。わたしたちの言葉を信じてください。わたしたちは年をとりました。が、まだまだわかいつもりです。わたしたちは二人とも、そのへんのことはこころえているつもりです。』
(本文より引用)



この本をまだ読んでいない方からすれば、『禁煙さん』やら『正義先生』なんていう名称を聞いても意味が分からないと思いますが、注目すべきはそれらの固有名詞などではなく、上記にて引用させて頂いた台詞です。

そこにあるのは、『同級生』『友人』という繋がりのみ

私は今年の9月、小学校・中学校で一緒だった、とある同級生の企画するイベントを手伝いました。
私の他にも手伝う同級生が数人。
そこにあるのは、雇用主と従業員という関係ではなく、『同級生』という繋がりのみ。
つまり、無給で働いたわけですが、私達はアルバイト代をもらうために手伝ったわけでは勿論ありません。そしてイベントを企画した同級生も『こいつらだったらボランティアで働いてくれるだろう』という考えたあったわけでもありません(多分…)。
若い頃…とりわけ学生時代の付き合いという一見頼りないようで実は太い繋がり(敢えて絆とは言いたくありません)の下で、私達はそのイベントを大きなアクシデントもなく執り行うことができました。
そのつながりの前では損得などは一切なく、少し過剰な言い方をしてしまえば昔に戻ったような感覚で一つのことに向き合うことができました。

色あせない思い出はいつまでも自分達の中に

大人(社会人)になりますとお互い家庭を築いたりもしますし、仕事によっては土日など関係無くなる場合もあるでしょう。その他にも様々なしがらみも降りかかりますので、なかなか昔の友人達と会うことも難しくなっているのが実情であります。
恐らくこの記事を読んでいる皆様もそうでありましょう。
ですがですが…たまには昔を思い出してみてはいかがでしょうか。
携帯電話の電話帳に残っている昔の友人に、『久しぶり』と連絡してみるのもいいかもしれません。
幸か不幸か、年末年始が近づいて参りますので集まる機会がいつもよりは多くなる季節です。
いい思い出も思い出したくないような黒歴史も、昔の友人達と突き合せればまた違った景色を醸し出すのかもしれません。
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@liverpoolxabier

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