関ヶ原(上・中・下) 浅見家の本棚 #52

浅見家の本棚




関ヶ原(上・中・下)/司馬 遼太郎

祝・『関ヶ原』の映画化!!(今更かよ…)

『司馬遼太郎のあの「関ヶ原」が映画化される』その情報が現実となり、数カ月。
私は、実家(自宅ではなく…)の本棚に眠ったままとなっていた司馬遼太郎・著の『関ヶ原』を約二十年ぶりに手に取りました。当時の私は単なる歴史好きな子供の視点から、ただただ楽しく読み進めただけだったのですが、約二十年という時を経て再読してみますと、また違った感想とでも申しましょうか、発見があったように思えます。




戦争は、人で決する

結局のところ、戦争などというものは人で決するのであります。
『いやいや、兵器だろう』
という考え方も勿論否定はしないのですが、戦略と戦術はまるで異なるものであり、その差が家康と三成の運命を分けたといっても過言ではありません。
第二次世界大戦もそうだったのですが、戦争というものはやはり戦う前から戦略の時点でほぼ決しているのではないかというのが私の考え方です。
『段取り八分』
という言葉があるように、事前に本番に向けた膨大な猶予・準備期間があり、その時点で何を成すのか…ということですね。
そういった考えからいきますと、関ヶ原の東軍最大の功労者は、西軍を裏切った小早川秀秋や吉川広家でもなく、黒田長政(と、彼にまんまと乗せられた福島正則)ということになりますね。

徳川家と島津家、毛利家。270年後の皮肉。

世にいう天下分け目の戦い…『関ヶ原』。
その戦闘自体は約6時間で決したと言われておりますが、結果的に勝者となった家康はその6時間のために、読者であるこちら側が驚くほどの対策を世に対して施します。
己と、徳川家の…そしてその後の天下泰平のために気の遠くなるような数々の事績が、この3冊には詰まっているといえましょう。
しかし、この関ヶ原の約270年後に皮肉な結果が待ち受けています。
家康が予期したように、彼が苦心の上に打ち立てた徳川幕府を倒したのは毛利家(長州藩)と島津家(薩摩藩)でございました。
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