『司馬遼太郎』で学ぶ日本史(磯田 道史)

浅見家の本棚

『司馬遼太郎』で学ぶ日本史/磯田 道史

2017年も12月に入り、残すところあと1カ月弱となりました。
師走という名の通り、道行く多くの人が何処か忙しそうな雰囲気を醸し出しております。



さてさて風物詩…とでも申しましょうか、この季節になりますとどうしても旧日本軍による真珠湾攻撃の話題が持ち上がります。

あの出来事を契機として、かつての旧日本軍はアメリカとの愚かな戦争に突入していきました。
関連する映像や資料が各報道局を通して我々のお茶の間に提供される度に、日本人は改めて平和の尊さを実感します。

今回は、歴史小説の代表的作家を題材にした新書「『司馬遼太郎』で学ぶ日本史』を要約していきたいと思います。

司馬遼太郎さんは、自身も徴兵され満州に渡った経験を持っていました。
第二次世界大戦の愚かさを現代の日本人も誰よりも分かっていた司馬さんは、自身の作品を通して私達に伝えてくれていたと、歴史学者の磯田 道史さんは考察しています。

昭和陸軍が、何故あのような暴走を始めたのか…。
本書を通して、そのルーツを探ることができます。

第一章 戦国時代は何を生み出したのか(国盗り物語)

司馬文学は、時間軸で言うと『国盗り物語』からスタートする。
これは、司馬さんが昭和陸軍の犯した過ちの原因が、信長・秀吉・家康の作った『公儀』にあると考えていたためと考えられる。
『国盗り物語』では、三英傑である信長(徹底的合理主義)・秀吉(人たらし)・家康(狡猾)がそれぞれの個性を持って描かれており、戦国以降に顕著化する『世俗化』という観点から、後世の日本人に大きな影響を与えた。
信長以降の世俗権力は時には帝の権威すら利用し、一度暴走を始めると簡単には止まらなくなった。
近代日本の国家に、このような負の一面が受け継がれていったのは否定できない。
『国盗り物語』は、登場人物のサクセスストーリー(前半の主人公・斎藤道三)などが共感を集めて広く浸透。
高度経済成長期という当時の時代背景もあり、大衆の支持を多く集めた作品である。



第二章 幕末と言う大転換点(花神)

司馬さんが自身の作品の主人公に据えるのは、時代の流れを描ける人物。
特に『花神』の大村益次郎は、当時の日本が国民国家になるか植民地になるかで揺れる幕末期において、軍の近代化(西洋化)を進めた技術者として描いている。
日本では、楠木正成のような『勝敗に関係なく忠義を示すことが大事』という故事が賞賛される傾向にある。
正に幕末の長州藩がそれで、司馬さんはここに昭和陸軍の原型を見ていたと思われる。
司馬さんは、リーダーに必要な要素を『常識や形式を否定すること』と考えた。
そしてそれが自分で出来ない時には、『その技術をもっている人物を見つけ、しかるべきポストを用意すること』ということを、『花神』の木戸孝允で表現した。

第三章 明治の『理想』はいかに実ったか(坂の上の雲)

革命(明治維新)が成功しても、新政府には新たな国家の青写真が無かった。
国家運営が成功したのは、長い江戸時代によって醸成された優秀な人材の存在や民度の高さがあってこそだった。
その一方で、江戸時代には『東アジアへの蔑視姿勢』という負の遺産もあった。
それが近現代において、日本の社会や思想が東アジアで孤立してしまうことに繋がった。
明治には、社会的・公共的なリアリズムがあった。
江戸時代までのような身分制度に縛られることなく、国のために個々が産業を興し貢献していくという考え方から明治のリアリズムは産まれた。
日本海海戦で活躍した秋山真之は、『立派な軍艦があっても、それを動かす人間の技能が低ければ意味が無い』と考えていたが、昭和陸軍では不条理な精神主義が横行。
秋山の持つ、ある種の謙虚さがあれば日本があのような戦争をすることはなかった。
公共心が非常に高い人間が、自分の私利私欲ではないものに向かって合理主義とリアリズムを発揮したときに、すさまじいことを日本人は成し遂げるのだというメッセージと、逆に、公共心だけの人間がリアリズムを失ったとき、行き着く先はテロリズムや自殺にしかならないという裏の警告メッセージを、司馬さんは私たちに発してくれている。(139ページより引用)

第四章 『鬼胎の時代』の謎に迫る



日露戦争勝利からの約40年間は、日本にとって『鬼胎』の時代。
病根は明治時代に生じており、その背景にはナショナリズムの暴走が存在していた。
日露戦争は、勝つには勝ったがギリギリの状態だった。
それを知らない(知らされていない)民衆は、ポーツマス条約の内容を不服として『日比谷焼打ち事件』を起こし、この出来事こそが『魔の季節への出発点』として位置づけられる。
日露戦争後、日本は海軍を縮小すべきだった。
しかし…過度のナショナリズムは歪んだ大衆エネルギーを帯び、それが『鬼胎』の時代の原点となった。
やがて日本は、ドイツに傾斜。
この政策こそが、『統帥権』という『鬼胎』の正体を生み、やがて一人歩きを始めて軍が暴走を始めた。

終章 二一世紀に生きる私たちへ

エッセイ『二十一世紀に生きる君たちへ』で司馬さんが子供達に伝えたかったことは、『共感性』と『自己の確立』の大事さ。
『共感性』とは、どんな異文化や人に対しても理解し、適応すること。
『自己の確立』は、周囲に流されずに自分の考えをしっかり持って行動すること。

幸運にも私は日本史が好きなので、司馬遼太郎さんの作品は数多く持っています。
『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『坂の上の雲』…どれも、大変面白く読ませて頂きましたが、恥ずかしいことに『国盗り物語』だけは所持しておりませんでした。



本書の著者・磯田さんによれば、『司馬遼太郎さんは第二次世界大戦時に日本(昭和)陸軍が犯した過ちは織豊時代に起因すると考えていた』…とのこと。
早速ブックオフオンラインで『国盗り物語』を発注したのは、言うまでもありません。

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