帳簿の世界史(J・ソール)

浅見家の本棚

帳簿の世界史/J・ソール

今年の成人の日に世を騒がせた、着物店『はれのひ』のトラブル。



この騒動で注目されたのは、
①『はれのひ』で着物を借り、新成人としての新たな一歩を踏み出すはずだった被害者の心情
②当時社長だった、篠崎洋一郎容疑者の騒動中の逃避行
の二点。

そして一連の騒動から約半年が経過した今年7月、『はれのひ』は決算を粉飾し、銀行から不正に融資を受けていたことが判明しました。

テクノロジーが発達した今日でも、このような不正会計に端を発した騒動が起きてしまうのは何故なのでしょうか?

そんな疑問を解決するために、今回は『帳簿の世界史』(文芸春秋)という本を紐解いていきたいと思います。

何故、会計責任は一向に果たされないのか?

本書『帳簿の世界史』は約700年に及ぶ財務会計の歴史について書かれており、読み進めていくと、ある一つの形が見えてきます。
それは…文化や社会が繁栄又は崩壊の際には、お金…つまり『会計』が絡んでくる…ということ。

冒頭に挙げた疑問の通り…何故、いつの時代も企業や政府の会計責任は果たされないのでしょうか?

本書『帳簿の世界史』の内容を元に回答するならば、その理由は以下の2つです。

①会計改革は、始まると直ちに頑強な抵抗に遭う。
②会計や金融が、ごく基本的な原則を理解するためでさえ、高度な知識を必要とする。
(本文より引用)

いつの時代も、『会計』に対する改革が無いわけではありませんでした。
しかし、保守的な既得権益層の抵抗に遭い、全ての改革が上手くいくというわけではなかった…というところが正直なところです。

改革を行うのが人間であれば、それを邪魔するのも人間。
このようにして、会計の歴史は何百年も繰り返されてきました。



人間と会計の、700年の歴史①(中世イタリア・メディチ家)

ここからは、人間と会計の約700年の歴史について大まかに振り返っていきましょう。

複式簿記が生まれたのは、貿易の発展をきっかけに繁栄した13世紀の中世イタリア。
アラビア数字が複式簿記に使われ始めたのも、この頃のようです。

この北イタリアの商業国家…特にフィレンツェにおいて強大な力を持つ商人が生まれます。
皆さんも名前は聞いたことがあるかと思います、それがメディチ家です。

メディチ家、聞いたことある!!

メディチ家最盛期の当主は、コジモ・デ・メディチ。
一時はヨーロッパ最大に富豪となったメディチ家ですが、その勢いも実質はコジモの代まで。

子や孫の代になってからは会計と財政の管理を怠ったことで金融業で失策を繰り返し、ついにはフィレンツェを追放されるまでに至ってしまいました。

人間と会計の、700年の歴史②(スペイン帝国)

メディチ家がフィレンツェを追放されてから約40年。
イタリアの西方には、スペイン帝国が栄えていました。

しかし、『太陽の沈まぬ国』と言われたスペイン帝国も、実は多額の負債に苦しんでいたようで、国王・カール5世が1556年に退位する際には、実に収入の約7割が融資の利払いに充てられていたようです。

そんなカール5世の後を継いだのは、『書類王』の異名を持つフェリペ2世。
彼の素晴らしい所は、会計が難しいと知るやそれを放置せずに専門の財務長官に任せ、財政の管理に当たらせたこと。
その結果、世界で初めて国家の貸借対照表を作成するという偉業を達成します。

しかし、ここでも会計に対する改革は頓挫。
既得権益からの妨害に始まり、フェリペ2世や財務長官であったホアン・デ・オヴァンドが亡くなることで、結局、会計は根付かずに終わってしまったのです。

人間と会計の、700年の歴史③(オランダ黄金時代)

スペイン帝国の支配下にあったオランダは、度重なる重税政策への反発もあって独立。
国土面積や戦力が大きく劣る中で独立を成し遂げることができたのは、お金の力があってこそ。



では、そのお金はどうやって調達したのか?
そこで、『会計』の出番です。

オランダ王ウィレム1世の子であるマウリッツは、国家財政に世界で初めて複式簿記を活用したと言われています。
結果、オランダは日頃から会計や簿記を使いこなしていた商人達の存在もあって繁栄。
独立の際にも多額の戦費を調達できたというわけですね。

国土の多くが海水面より低いオランダは、治水に対して限られた予算を有効に回せるよう、会計責任を真剣に受け止めていました。
そのような国民性があってこその、会計文化の定着だったのかもしれません。

人間と会計の、700年の歴史④(イギリス産業革命)

時代は大きく飛んで、18世紀。
イギリスでは産業革命が起き、世界最大の工業国となりました。

『国家が繁栄する陰には、会計の存在がある』前例通り、当時のイギリスでは会計が発達。
国民に対する会計教育を担う、アカデミーというものが各地で設立されていました。

そして、そのアカデミーの経営者の多くが非国教会信徒…つまりプロテスタント。
それまでのキリスト教は『利益=悪』という固定観念を持っていましたが、彼らプロテスタントは

『神の業である自然を理解し、その知識に基づいて科学を発展させ産業を興して富を得るのは、決して罪ではない』

との考えの下、日々の活動を行っていました。
そのような下地があったからこそ、会計における財務書類の作成のために複写機を発明したワットのような存在も現れたのではないかと思います。

現在、私達が活用している文明の利器の発端は、会計があったからこそ…と言えそうです。

人間と会計の、700年の歴史⑤(フランス革命)

フランス革命もまた、会計の力が大きく作用した歴史的出来事です。

革命が起こる前までのフランスでは、僅か3%の貴族が国内の90%の富を所有。
庶民から見れば、これはとんでもない数字ですよね。

この時に、フランスの財務長官に就任したのはネッケルという人物。
彼は国王ルイ16世のために色々と会計改革を画策するのですが、ここでも邪魔をするのが既得権益層。

ネッケルは、これらの政敵から『国家予算を着服しているのではないか』という疑いをかけられるですが、自身の潔白を証明するために国家の財務会計を公開。

これまでベールに包まれていた王家の収支がさらされたことで、その内容に激怒した国民がフランス革命に繋がっていくのです。

人間と会計の、700年の歴史⑥(アメリカ独立)

アメリカは合衆国は今でこそ世界一の産業を持つ巨大国家となっていますが、その建国初期は債務管理の歴史です。



そんな借金だらけの国が今日のようになったのは、『建国の父』と言われる偉人達が会計の知識を身に付けていたことに起因します。

その偉人達というのは、ベンジャミン・フランクリンや、ワシントン、アレクサンダー・ハミルトン。
彼らは個人帳簿を常に公開し複式簿記を活用することで、会計を国会に浸透させていったのです。

人間と会計の、700年の歴史⑦(世界恐慌とリーマンショック)

世界恐慌とリーマンショック。
会計の技術が徐々に発達・浸透していく中で、何故このような事態が起きてしまったのでしょうか。

皮肉にも、これら2つの出来事の原因は会計士にありました。
元々会計士という存在は、鉄道の誕生により複雑になった財務管理のために生まれた職種。

やがて彼らは、会計の専門知識を活かして企業のコンサルタント業を開始。
本業の監査会計が疎かになり、誰も企業の実態を知ることなく経営が行われた…つまり、今回の『はれのひ』のようなことが多発し、世界恐慌へと繋がっていきました。

更に驚くべきことは、そんな会計士の体質が世界恐慌後も続いていたということ。
世界恐慌とリーマンショック…この2つの出来事は約80年程の時間差がありますが、21世紀になっても人間は同じ過ちを繰り返してしまったのです。

権力とは財布を握っていることである

「アメリカ建国の父」の一人である、アレクサンダー・ハミルトンは
『権力とは財布を握っていることである』と言いました。

結局のところ、今も昔も世の中はお金がなければ上手く回りません。
特に、国家を運営したり、企業を経営するならば尚更です。

その権力…つまりお金を誤った方向に使わぬよう会計が生まれたわけですが、悲しいことに人間は怠けてしまう生き物。

人間自身がお金に携わる仕事をしている内は、恐らく不正会計というものが無くなることはないでしょう。



近い将来、我々人間が携わっている仕事の多くが、人工知能(AI)に代替されるという話を皆さんも聞いたことがあると思います。
恐らく、人口知能(AI)のような存在が無ければ、不正会計というものが無くなることはないでしょう。

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